大羊居の歴史はおよそ250年前、江戸は日本橋の呉服太物商「大幸」から始まります。
大幸の5代目・野口彦兵衛の長男・野口功造が大正15年に創業した東京のキモノ制作会社です。
大羊居の大と羊は大幸の幸という文字を上下に離した形で、中国では至極めでたい文字とされています。
父・彦兵衛と大彦
野口彦兵衛は嘉永元年、両国は河村仁兵衛の長男として生を享けます。
幼い頃より家業とは別の志を持っていた彦兵衛は、呉服全般の修行をしたのちに、江戸安永年間より日本橋橘町で呉服太物商を営んでいた「大幸」に養子として迎えられ、5代目・大黒屋幸吉を名乗ります。
やがて同町内に別家して、1875年(明治8年)に「大彦」(大黒屋・野口彦兵衛)を創業しました。彦兵衛は旧来の卸商だけでは満足せず、東京で独自の染物を作りたいという思いから、京染とは趣を異にする意匠を考案し、手描き友禅による裾模様の類を創ったほか、小石川関口に設けた染工場で技工を養成し、考案した文様を型染めにて製し「東京大彦染」の名で関西および中京にまで広く商いをしました。
また、版木によるプリントや型紙による摺り込みで染めたハンカチやスカーフを欧米に輸出したり、当時、古着として売買されていた小袖に美術的価値を見出し、蒐集したものを独自に考証を行うなどの先見性も持っていました。それらの小袖は東京国立博物館に寄贈され、大彦小袖コレクションとして所蔵されています。
野口功造と大羊居
1888年(明治21年)野口彦兵衛の長男として出生しました。
大正期、京都での修行を経て家業に就き、染工場で型友禅の制作に従事します。
工場を小石川から玉川瀬田に移転したのち新たに捺染工場を作り、弟の真造とともに機械生産による工場染色の運用を始めます。
関東大震災で日本橋橘町の店は消失し、大正14年に父・彦兵衛がこの世を去ります。捺染工場に力を注いでいた兄弟でしたが、初代・龍村平蔵の忠言により、大量生産の仕事ではなく、彦兵衛が志した工芸的染色の手仕事をそれぞれが引き継いでいくことになります。
1926年 大正15年
弟の真造に大彦を託し、本家「大幸」の名を残すべく「大羊居」を創業。
三軒茶屋に工房を構え天性の意匠力と自由な発想で、衣裳模様の制作に力を注いでいきます。
1934年 昭和9年
宮内庁御用達、皇室衣裳謹作を手掛ける。
高島屋主催「先代大彦翁十年祭記念 大彦兄弟新作芸術衣裳展」開催。彦兵衛作の裾模様と功造・真造兄弟の作品が一同に展覧。また、東西高島屋にて「大羊居染繡美術衣裳展」を毎年開催。
1941年 昭和16年
日本古来よりの染繍技法を一図百染で再現した「寿桃百趣」を発表。天覧の栄を賜るも昭和20年、戦災にて消失。
1948年 昭和23年
疎開先の伊東に工房「橘香染荘」を構える。
1958年 昭和30年
「寿桃百趣」の再現として前作を凌ぐ「鳳舞桐祝文」の制作に着手。およそ3年で完成させ国内のみならず、海外貿易振興会(JETRO)を通じて半年間にわたり欧米各地をまわり、好評を博した。
1964年 昭和39年
功造、76歳でこの世を去る。
現在
現取締役社長・白石旭と功造の長女・貴美子のもと、功造が遺した言葉「なんだってキモノの柄になる」をモットーに制作をしています。